万願寺 御領 太鼓台の紹介 

五段の布団は太陽、トンボは雲を表現していると言われています。 布団の厚みは18センチと従来のものより少し厚みの有るものです。

四木柱にほ、黒檀(こくたん)を使用しており、その四本社の間、欄間には、河内が生んだ英雄、『楠木正成』の絵巻物が彫られております。 大きな金綱、真紅の幕には、御領(ごうじょ)の紋である『対の鳩』が、金糸で刺繍されています。 四隅は提灯ではなく大房を用いています。



布団受けに彫られた彫り物は、ニ種類の『龍』が四面に彫られております。 口を大きく開け、刀を待った『龍』は、魔除けの『龍』です。 口を硬く結び、巻物を待った『龍』は、宝や財産を守る『龍』です。



布団受けの下の面、外天井には、『鳳凰』が、四面に彫られています。

古来より中国を始め東アジアでは、一『龍』と『鳳凰』は高貴な生き物とし、お祝い事や、重要な催し物には、必ず使われてきており、お集りの象教である太鼓台には、最も相応しいものと思います。 中天井、鳴り太鼓の上には『竜虎』、『龍』と『虎』がおります。 龍・鳳凰・虎はどれも、今にも飛び出してきそうな、躍動感あふれる、力強い姿で彫られています。



<正面>
時は1336年(北朝:建武3年 南朝:延元元年)足利尊氏が謀反を起こし、九州より京都に攻め上りました。 補木正成は、後醍醐天皇の命により、兵庫で足利軍と戦う、新田 義貞(にった よしさだ)の援軍として出陣いたしました。 菊水の旗印の下、勇ましい出陣の姿です。

天皇側の新田軍およそ1万、楠木軍は700騎余でした。 一方の足利軍は、陸から足利直義(ただよし)軍が50万、海から尊氏本隊が数千艘(約100万程)の大群で、圧倒的な武力差があり、到底勝てる戦ではありませんでした。 しかし正成は、天皇を助け平和な世にし、民を救いたいとの一心で、死を覚悟しての出陣でした。 世に有名な『湊川の戦い』です。



<後ろ>
 千早城を出た正成は、『桜井』まで来たとき、息子正行(まさつら)を呼び、『今度の戦で、自分は聞違いなく討ち死にするであろう。 お前は国に帰り、父の後を継いで、楠木一族を立て直し、いつの日か父の志を継いで、賊を討ち果たすように』と青い聞かせました。

 自分も共に戦いたいとしぶる正行(まさつら)に、正成は宝刀を渡し、『これを父と患
い、天子を助け、天下泰平に尽くし、民を救いなさい』と言い聞かせました。 正行(まさつら)はようやく『はい』とうなずき、短刀を受け取りました。ほろほろと涙が小さな膝に落ちました。正行(まさつら)わずか11歳の春でした。 世に有名な『桜井の別れ』です。

後の世、『芭蕉』はこの地を訪れた際、次のような歌を作っています。

 『なでしこに かかる涙や 楠の露』

 なでしこは、正行(まさつら)、楠の露は正成の涙です。



<正面右横>
 松の木の陰で、短刀を握り締め、去り行く父の最期の姿を見つめる正行(まさつら)。  幼い我が子を心配しながらも、決意の目で見つめる正成の姿が措かれています。

 明治天皇はこの地をご訪問された際に、御製(ぎょせい)をお読みなされました。   『子わかれの 枚のしづくに袖ぬれて 昔をしのぶ さくらいの里』



<正面左横>
 兵庫に着いた正成は、現在の神戸市湊川付近で、陸から攻めてきた足利直義(ただよし)と戦いました。 様々な戦術を駆使し、圧倒的な兵力の不利を撥ね除け、一時は優勢にありましたが、後方和田岬で尊氏本隊と戦っていた、新田義貞(にったよしさだ)が敗走し、前後を挟まれ、ついには進退窮まってしまいました。

新田 義貞(よしさだ)が無事京都のほうへ逃げるのを見定めた時、正成の兵はわずか73名になってまきりました。 『これまで』と悟った正成は、農家に駆け込み、弟正孝(まさすえ)と刺し違えて命を絶ちました。 このとき正孝(まさすえ)は最後の願いとして、『七たび人間に生まれ変わり、賊を滅ぼしたい』と言ったとされています。 正成最後の場面が彫られています。

後に、徳川光囲(水戸黄門様)は、正成の生き様に感動し、湊川神社に『鳴呼忠臣楠子ノ墓(ああちゅうしんなんこのはか)』という、有名な墓碑を立てております。

また、楠木正成は、武人としての知名度もさることながら、文人としても河内に大切な物を残してくれております。 正成が作り、庶民に伝え、歌い細がれてきた民謡。 それが河内音頭です。  橋本 正成は、死後『大楠公(だいなんこう)』と神として崇められ、我々河内に住む者にとっては、切っても切り離せない、重要な人物と言えるでしょう。 正に、私たちの太鼓台に相応しい彫り物だと嘗えます。



欄干の彫り物は十二子(子・丑・寅・卯・辰・巳・午・未・申・酉・戊・亥)(ね・うし・とら・う・たつ・み・うま・ひつじ・さる・とり・いぬ・い)です。


どろ板には、『あ・ん』の虎が彫られ、これも今にも飛び出してきそうな、躍動感あふれる、力強い彫り物となっています。

【2009年4月4日の入魂式の紹介より】 2016.8.3作成、2023.8.25修正


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